木造三階建の詩
2022-12-30T15:05:01+09:00
noririn_papa
のりりんパパ(わいほす)の気まぐれ日記
Excite Blog
映画「Dr.コトー診療所」
http://yhosdiary.exblog.jp/32701193/
2022-12-30T13:49:00+09:00
2022-12-30T13:49:10+09:00
2022-12-30T13:49:10+09:00
noririn_papa
映画・演劇
懐かしい人々と島の風景、あれから16年も経ったのですね。
だいぶ老けた純くん、もとい満男くん、もといコトー先生こと吉岡くん
(こんなにも長いことフィクションの人物を背負ってる役者さんてすごいですね)と
変わらない美しさの柴咲コウさん。
すっかり老け役の時任さんと相変わらずの泉谷さん(笑)。
あの頃よりだいぶ進化した診療所や往診時の医療機器。
島の人々のやさしさと、人を助ける熱意とにたっぷり泣かされました。
ツッコミどころも多く、突っ立ってないで早く胸骨圧迫変わって、とか、
AEDないの?とか。
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一年遅れの還暦祝い
http://yhosdiary.exblog.jp/32701665/
2022-10-23T22:54:00+09:00
2022-12-30T15:05:01+09:00
2022-12-30T14:59:18+09:00
noririn_papa
家族の話
今年の9月にリベンジ計画を立てながらもコロナ濃厚接触者になり断念。
ようやく実現した一年ひと月遅れの軽井沢での還暦祝いでした。
別に軽井沢に別荘があるわけではありませんが、
近年まで所属するカトリック教会の施設があって、毎夏、子どもたちと出かけていた慣れ親しんだ街。
秋には正やんこと伊勢正三さんが大賀ホールでライブをする街。
冬には安いホテルに泊まってスキーをする街。
そんな軽井沢に家族で出かけてきました。
初日はアウトレット。
子どもたちが、私をおしゃれなオヤジにコーディネートしてくれるイベント。支払いは私ですが(笑)、自分じゃ選ばないようなオサレで若い服を子どもたちが半日かけて選んでくれました。
宿泊は中軽井沢くつかけスティ。
初めての宿ですが、古民家を宿にした雰囲気のあるところでした。
部屋には炬燵が…わが家には炬燵がないので、その暖かさがちょっと嬉しい。
夜は宿のディナーで創作和食。あれこれ味や形を楽しみながら、家族団欒。
還暦のお祝いに、長男夫婦からはセーター。次男からは最近家で料理もしている私にエプロン。娘からはコーヒーのミニドリップポットをプレゼントしてもらいました。
一夜明けて、旧軽散歩。
いつも夏、軽井沢にきた時にはミサに出ていた聖パウロカトリック教会では、結婚式が行われていました。
フランスベーカリーでフランスパンを買って。
そして今回メインの万平ホテルでの鉄板焼き還暦祝いランチ。
美味しい料理を堪能した後
最後にサプライズのお祝いデザートプレート。
午後は雲場池の紅葉を見て、中軽井沢の石の教会へ。
雲場池に子ガモが増えしこの秋に夕焼け紅葉きみの横顔
くつかけの石の教会きみとおれば過ごしし日々にやさしき光
最後は温泉。
秋晴れの最高のお天気の中、家族に囲まれた素敵な週末を過ごさせていただきました。
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パンダとほおずき市
http://yhosdiary.exblog.jp/32045825/
2022-07-09T14:55:00+09:00
2022-07-15T14:57:46+09:00
2022-07-15T14:57:46+09:00
noririn_papa
家族の話
双子のシャオシャオ(オス)とレイレイ(レイレイ)、母のシンシンです。
背中に緑の線が描かれているのがシャオシャオで、反抗期?(笑)なのか、木の上で、向こうを向いたまま。顔なんか見せてやんないぞ、とでも思っているのでしょうか。
レイレイは木登りをしたり、活発に動いていて、それをぐるぐるまわりまがら見守っているかのような母のシンシンでした。
やっぱりかわいいね。
じっくり見ていたいけれど、短い時間にいいショットの写真も撮りたいし、目の前のパンダを見ずにスマホの画面を見てしまうのが悔しい(笑)。
夜は浅草のほおずき市。
浴衣を着て出掛けてきました。
このところ暑すぎる日が続いていましたが、ちょうどいい天気で、夜の露天とほおずきの朱い彩りを楽しみました。
四万六千日の功徳があるとか。一度で百年は大丈夫なわけですが、何度目でしょうか(笑)。
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映画「トップガン マーヴェリック」
http://yhosdiary.exblog.jp/32045735/
2022-07-03T14:22:00+09:00
2022-07-15T14:23:34+09:00
2022-07-15T14:23:34+09:00
noririn_papa
映画・演劇
昨夜、Amazonで30年以上前の「トップガン」を観て予習。
実は頭の中では「愛と青春の旅立ち」と記憶がごっちゃになっていて、改めて「トップガン」を観てみると、主題歌や、戦闘機とバイクが並んで走るシーンなど、印象的な場面は覚えていても、ストーリーはすっかり忘れていて、まるで初めて観た映画のようでした(笑)。
昨夜の予習段階から、これは軍隊のお話で、仮想敵国は宇宙人でも怪獣でもない、人間なのだということは十分理解していて、単純にスカッとして良いのか、という思いは少しあったのだけれど(もちろん宇宙人や怪獣なら良いというわけでもないのだけれど)、そこはトム・クルーズの格好よさと、敵国の人間を一切描かないハリウッド的配慮に甘んじて、娯楽として割り切りつつ、ワクワクドキドキを楽しんできました。
もう一つの心配は、空中シーンの過剰なカメラワークで目が回らないかということでした。
最近(いや昔から笑)、三半規管が弱くて、グルグルする映像が苦手。しかしそれも杞憂で、正統派のカメラワークで存分に楽しむことができました。
もう冒頭から、主題歌と、ストーリーは忘れても記憶に鮮やかに残っていたバイクシーンとか、涙もののオマージュたっぷりで、老人の薄れた記憶力でも、さすがに昨夜の予習は覚えていて、なんの違和感もなく時の流れに寄り添うことができました。
バリバリ主役のトム・クルーズ。やっぱりカッコいいよね。
ほぼ同世代、笑ってしまう。
そういえば昨夜は、BSでオフコースのライブを楽しんだ後、地上波にチャンネルを回したら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がやっていて、最後のほうを観ていたら、娘に
「父さん、バック・トゥ・ザ・フューチャーやってると必ず観るよね」
と言われ、確かにトップガンよりよっぽど観てる、と思ってしまいました。
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ミロ展ー日本を夢みて
http://yhosdiary.exblog.jp/31135812/
2022-04-02T18:35:00+09:00
2022-04-02T18:35:50+09:00
2022-04-02T18:35:50+09:00
noririn_papa
美術
私がミロを好きになったのは、2006年に訪れたバルセロナのミロ美術館からです。
それは夜、閉館後の美術館で行われたレセプションパーティで、中庭で食事をして、自由に美術館の中を見学できるという、素敵な体験もあったからかもしれません。
それ以来です。
こんなにたくさんのミロの絵に囲まれたのは。
さもありなん、日本でのミロ展は20年ぶりだそうで。
ちなみに、近年はジョアン・ミロではなく、ジュアン・ミロと現地読みに近い表現で記されるそうです。
そのミロの絵。
子どもの落書きのような、それでいてユーモラスで不思議な造形。
黒の太い線と細い線が奇妙な曲線で人物やものを描き、そこに赤や青、黄色の鮮やかな色が塗られている。
星や目や体の部分が記号のように描かれ、散らばっているのに調和している。
なんとも不思議な世界です。
会場の中に、ミロから日本の詩人・滝口修造氏に贈られたカラバサというバルセロナ地方のひょうたんが展示してあって、このユニークな形こそミロの原点ではないかと思わず思ってしまいました。
今回のテーマでもある日本との接点。
ゴッホなども浮世絵に刺激を受け、日本に憧れたとも言われていますが、ミロは晩年、日本に二度、訪れ、その文化に直接触れています。
そして、書にも感銘を受け、もともと文字と絵が溶け込んでいたミロの絵に、墨のような黒く太く滲んだ線やはね、滴りが表現され、モノクロームの世界が展開されていました。
あらためて日本の書の素晴らしさ、美しさを思い出し、それは文字であり絵でもあるからだと感じたのでした。
とはいえ、やっぱりミロの絵は、鮮やかな色と不思議な形の人物や鳥が踊る絵が好きかなあ。
今回は割と背景が暗めの色彩の絵が多かったようにも思いました。
撮影可能だった絵の一つで「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」(福岡市美術館)。
ミロが戦時中、マジョルカ島に避難していたとき、パルマ大聖堂の夕暮れ時、ステンドグラスの窓から降り注ぐ光と「祈りのカノン」のオルガン演奏からインスピレーションを受けたものだそうです。
教会で踊り子が踊るというのは通常はないわけで、戦争というものに対する音楽の力、踊り出す心を描いたのだろうかと勝手に想像しています。
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戦争を知らない子供たち
http://yhosdiary.exblog.jp/31132389/
2022-03-30T22:00:00+09:00
2022-04-01T13:36:00+09:00
2022-04-01T13:33:37+09:00
noririn_papa
音楽
最近はすっかり家にこもり、仕事場に早朝に出勤して早めに帰宅する生活だったので、繁華街の人の多さにびっくり。
今日は平日だよな、と思いつつ、そうか、学生は春休みで、桜は満開で、渋谷は若者の街だったか、などと、人混みを戸惑いながら歩いていたのでした。
ライブは、青木さんの歌の合間に、きたやまさんの音楽話&対談、くらいに勝手に思っていたら、きたやまさん、語る、語る。二部構成の一部はきたやまさんの講演会でした。
いつもは軽快なトークの青木さんも、今日はおしゃべりはきたやまさんにお任せして、相槌と歌に専念、という感じです。
青木さんのライブではいつも、会場全体で歌って盛り上がる「あのすば」も、マスクの中で口ずさみながら聴いているだけ。青木さんの絶妙なタイミングでみんなに早口で次の歌詞を伝えるシーンもなく、きたやまさんの歌詞のこだわり解説もあって、初めてじっくり聴いたような(笑)。
やはり圧巻は、杉田二郎さんも登場しての、「戦争を知らない子供たち」の熱唱でしょうか。
この時代だからこそ、戦争を知らないという幸せをあらためてかみしめ、戦争を知らざるを得ない子どもたちを思い、これからも戦争を知らない子どもたちを育て続けられることを願いながら、心で合唱していました。
会場から出ると、ライトアップされた桜が満開でした。
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東京橋美人
http://yhosdiary.exblog.jp/31152031/
2022-03-26T22:49:00+09:00
2022-04-09T11:52:30+09:00
2022-04-09T11:52:30+09:00
noririn_papa
家族の話
土屋勝義くんは私の学生時代からの友人で、若い頃は篠山紀信さんに師事していたプロ写真家。
友人として私の結婚式の写真や娘の七五三の記念写真も撮ってもらったりしています。
デジタルカメラが世に出だした早い時期から時代を先取りし、デジタルカメラでの撮影を手がけてきたこともあり、デジタルの特色を活かした美しい写真、そして何より光を上手に使って人を美しく見せるのが特長です。
2020年、東京オリンピックに向けてさまざまな色にライトアップされる予定だった隅田川の橋が、新型コロナウイルス感染拡大により、オリンピックが延期となり、すべての橋が医療従事者を応援するためのブルーライトに染まりました。
隅田川の近くで育ち、川面の光を見つめてきた写真家、土屋勝義くんにとっても、それは初めての光景だったようです。
光の魔術師でもある彼が、その光景を、この時代を、写真に納めようとしたのは必然でした。
「東京橋美人」
東京のビルの窓の光、それを映す川面の揺れ動く光、ブルーライトに煌めく橋、光をまとい躍動する女性、それらが一つになって一枚の写真となり、今という時代の物語が紡がれました。
ブルーライトに輝く橋を背景に、止まっている光と動いている光が溶け合って、今を生きる人が生き生きと映し出された土屋勝義くんの世界を堪能しました。
今回の写真展の中に、なんと私の娘の写真が一枚、展示されているのでした。
それは、2年前、私の娘が成人式を迎え、コロナ禍で成人式も中止となってしまったとき、記念写真をお願いした土屋くんのアイディアで、こうした時代を逆手に取って、ブルーライトの勝鬨橋で記念写真を撮ろうと、川辺で日没を待って撮った一枚です。
偶然か、光の魔術師の計算か。
日没になったばかりの夜空は柔らかく、緑の木の下で赤い着物を着て佇む娘は、まさにこれから大人になろうとしている瞬間の一枚になっています。
こうして他のモデルの女性たち、もっと遅い時間の暗くなった夜空で華やかな光のドレスをまとって輝いている写真と並んで見ると、成人式を迎え、これから大人になる少女を見守っているかのように見えるから、また驚かされるのです。
ちなみに、娘の後ろを去りゆく人影は私たち両親で、これもまた娘の巣立ちを演出する効果になっているのでしょう(たぶん笑)。
この写真を撮ったとき、土屋くんのお母さんはまだ元気で、着物姿で疲れ気味の娘に、芋けんぴを差し入れてくれました。芋けんぴは娘の大好物で、バクバク食べてしまい、おかわりまでいただきました。このお母さんの優しさが勝義くんの優しさの原点なんだろうと思います。改めてお母様のご冥福をお祈りします。
撮影時の一首
写真家の「気取った顔を」とリクエスト気取ったことなき娘とまどう (笑)
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そして、バトンは渡された 小説と映画
http://yhosdiary.exblog.jp/30993345/
2022-02-06T18:16:00+09:00
2022-02-13T18:20:03+09:00
2022-02-13T18:20:03+09:00
noririn_papa
映画・演劇
実は、あらすじから健気な少女の瀬尾さんワールド的ほのぼの感動作くらいに思っていて、本屋さん大賞を取って話題になった時もスルーしていたのでした。
ところが、実際に読んでみると、奔放な梨花さんやかなりずれた森宮さんに、動じない主人公と、登場人物が風変わりでとても面白いのです。かなりご都合主義的展開もありますが、ファンタジーかハリウッドコメディくらいに思えば気になりません。
もっとも、私のような年齢になると、祖父母はどうした、孫に会わせてあげてよ、と思ってしまうのです。いえ、ただでさえ親の数が多いのに(笑)、それぞれの親のまた親を出せば複雑になりすぎてしまいますから、仕方ないのですが。
原作を読んだのが12月。年末年始、相変わらずのコロナ禍で、すっかり上映している映画館も変わってしまい、原作の内容も適度に忘れてしまったこの週末、ようやく映画を観に行ってきました。
泣ける映画、という意味では当たっていますが、私たちの世代であれば、子どもの卒業式と結婚式の場面はどんな映画でもドラマでも泣かされてしまうでしょう(笑)。
原作では合唱祭が映画では卒業式になって、しかも曲が「旅立ちの日に」。これは泣くでしょう。
そしてやっぱり永野芽郁ちゃんは可愛くて、石原さとみさんの梨花さん役もハマってました。
ただ、原作のファンタジー的な部分というか、ちょっと現実離れした梨花さんの行動やズレた森宮さんの行動を、かなり現実的に理由づけた分、コメディ的要素が減ってしまったようにも思います。それは文字と映像の表現の違いからくるものかもしれませんし、より泣かせたいと思ったからかもしれません。
家に帰り、娘に、「私はバトンを渡さないよ」と言ったら、鼻で笑われました。
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秋の京都 2021 第3日
http://yhosdiary.exblog.jp/30858855/
2021-11-23T21:42:00+09:00
2021-12-03T13:45:05+09:00
2021-12-03T13:45:05+09:00
noririn_papa
家族の話
紅葉に彩られた清水寺本堂の舞台の向こうに朝焼けの街がみえ、空には月が。
その後、四条で着物をレンタルして着物姿で紅葉狩りへ。
穴場と聞いて、泉湧寺から今熊野観音寺へ。
ここにも人がちらほらと。
タクシーの運ちゃんも、いつもは人なんかいないのにと。。。
今熊野観音寺の境内でお茶とお団子。
人が溢れる東福寺はスルーして伏見稲荷へ。
千本鳥居で写真を撮りたいだけです(笑)。
着物着て千本鳥居をきみとゆくオレンジ色にそそぐ秋の陽
やっぱり京都はいいね。
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秋の京都 2021 第2日
http://yhosdiary.exblog.jp/30858852/
2021-11-22T22:37:00+09:00
2021-12-03T13:40:53+09:00
2021-12-03T13:40:53+09:00
noririn_papa
家族の話
しかし、予定通り、私が一度行ってみたかった高山寺に行くことにしました。
夢記や鷹島の石で有名な明恵上人が開いたお寺です。
ずいぶんと山の奥にあるので、雨だし人などいないかと思いきや
朝一番からツアーバスが来ているのにはびっくりしました。
どうやら紅葉の名所でも有名なようです。
雨で山道の石段を登り降りするのに難儀しましたが
やはり紅葉が美しい。
明恵上人の
あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月
という歌を本歌取りして一首。
高山寺やまのもみじ葉あかあかや悠久てらすあかあかや夢
晴れていれば、西明寺、神護寺と回ろうと思いましたが、
神護寺は階段400段と言われ、西明寺まで見て戻ってくることにしました。
帰りのバスに乗ったら元気が出てきて、よせばいいのに嵐山まで(笑)。
娘と「渡月橋〜君、想ふ〜」
夕食は、八坂の萬常さんで、だし巻き卵と寄せ鍋。
食後のお散歩にライトアップした高台寺と圓徳院へ。
圓徳院で娘が写経。健康、恋愛、学問成就から学問を選んだ娘。
恋愛はまだまだなのか、まさかもう満ち足りているでしょうのか。。。
圓徳院ねねのお庭をめでながらきみは学問成就を写経す
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秋の京都 2021 第1日
http://yhosdiary.exblog.jp/30858821/
2021-11-21T21:50:00+09:00
2021-12-03T13:01:21+09:00
2021-12-03T13:00:51+09:00
noririn_papa
家族の話
私も久しぶりに家族と遠出をしました。
行き先は、秋の京都!
京都は約2年ぶり、秋の京都は3年ぶりです。
娘と一緒の旅が嬉しくて、のんびりゆっくり紅葉を愛でるつもりが、いろいろな場所を娘に見せたくて(もとい、一緒に写真を撮りたくて笑)、あっちこっちと忙しく動いてしまいました。。。
初日の21日(日)は、娘がまだ行ったことのない金閣寺、竜安寺へ。
そして私もまだ行っていなかった仁和寺まで足を伸ばしました。
それなりに人はいましたが、紅葉シーズンであることを考えれば、十分、ゆったり見ることができました。
秋晴れの金閣寺は金色が映えて、なんだか初めて金閣を美しいと思えたように感じます。
(娘と一緒だからでしょうか笑)
秋の陽をあまねく浴びて金閣寺やっぱりきみは晴れ女だね
そこから花より団子と、娘の検索した和菓子のお店、「鶴屋吉信」へ。
目の前で生菓子を作ってくれて、抹茶とセットでいただくところが、
亥の子餅と小倉ぜんざいも食べたいと追加注文して娘はご満悦。
生菓子と抹茶にたらずぜんざいに亥の子餅たしきみはほほえむ
夕食は、烏丸小池の八百一のレストラン、セイボリーへ。
新鮮な野菜とグリル料理を堪能しました。
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父を見送りました
http://yhosdiary.exblog.jp/30858673/
2021-09-30T20:30:00+09:00
2021-12-03T11:53:14+09:00
2021-12-03T11:53:14+09:00
noririn_papa
家族の話
そして、9月30日(木)に父を家族葬にて見送りました。
この文章は少し後に書いていますが
後々のために、9月30日の日付でここに記しました。
父はこのブログの、おそらく唯一の熱心な読者でありました。
ですから、この文章は空の上の父に送ります。
8月の初めからまるでジェットコースターのようでした。
ここ数年、足腰の弱ってきた父は、そういう姿を他人に見られるのも嫌で、めっきり外出しなくなり、ほとんど家で過ごしていましたが、パソコンを駆使してAmazonでいろいろなものを買ったり、ゲームや書類の整理をしたりと、頭のほうはまったく元気でした。
咳とたんが時折出て、少しずつ話す言葉が少なくなり、食事の量も減ってきてはいたのだけれど、病院に行ったらもう戻れなくなるからと、近所のかかりつけ医から去痰剤と咳止めをもらって、母と二人で穏やかに過ごしていました。
8月8日に住職が来て、家族で父の兄のお盆の法要をしたときも、しっかり世間話ができていました。
それでも、ときに部屋で転倒することもあり、介護申請を、ということで、地域の介護センターの方に来ていただいたのが、13日。その時には、トイレも一人で行けなくなり、母が車輪のついた椅子で連れていっていたそうで、介護センターの方もすぐに室内の車椅子の手配や補助の簡易の柱などを取り付けてくれました。
8月26日に、介護認定の人が来た時には、咳やたんもひどくなってきて、私もこんなに早くとびっくりして、咳やたんで一晩眠れなかったというので、一度病院でちゃんと検査をしたほうがいいと本人も同意したので救急車を呼んで病院に行きました。
それでも、介護認定の人にしっかりと名前や月日などを言えていましたし、その日の朝も少しですが朝食を食べたというので、病院で検査をして咳とたんを楽にする最低限の治療をして、自宅に戻ってきて介護、という具合に考えていました。ですから、そのまま帰れるように車椅子まで救急車に積んで行ったのです。
しかし、病院の医師からは肺炎がこの数年の間にかなり悪化してしまっていると言われ、咳やたんによる苦しみを取るには抗生剤の点滴が必要と入院治療になりました。
父が以前から、入院も延命治療もたくさんの管を身体に入れられるのも嫌がっていたことは私も母も十分知っていました。でも、延命と治療の境はとても難しいのです。呼吸を楽にするために肺炎の治療で抗生剤を細い腕から点滴して、呼吸を助ける酸素吸入、むくみをとるために尿をしっかり出すための管、胸水を取るためのドレナージと、一日一日、父の身体に入る管が増えていきました。私は医師からの説明を受けて、父の病状の回復を期待して、一つ一つ同意せざるを得ませんでした。治療しても治らないのであれば家に戻してほしいとは言いましたが、在宅看護に向けての治療と説明されればそれを期待せざるを得ませんでした。
問題は、コロナ禍による面会禁止でした。感染拡大する状況下で、病院は外部の人間を院内に入れることをせず、面会ができません。ですから、父の顔も見れず、状態も医師から電話で聞くだけでした。
ずっと母と一緒に暮らし、寂しがり屋だった父にとって、一人で病室で病気と闘うことは辛く哀しいことだったと思います。それでなくてもコロナ禍でここ一年、孫たちも祖父母に会うことを自粛していたので、大好きな孫の顔すらみることができなかったのです。
9月24日(金)と25日(土)に、iPADを病室に届けて、看護師さんの協力を得て、LINEによるビデオ通話を母や私や妹や子どもたちとしました。なんとか母や孫たちの声を父に届けたいとの一案でした。会話といっても父は肺炎で声が出せず、こちらが一方的に話しかけるだけですが、父もちゃんとこちらの声が聴こえていて、手を振ったり、感謝するように手を合わせたり、こちらに一生懸命何かを語りかけているようでした。そんな父の顔を見ていると、もう少し頑張れば退院もそう遠くはないんじゃないかと希望を抱かせてくれました。
誤嚥から経腸栄養になり、その25日に、次は貧血改善の輸血、中心静脈栄養に進む予定と医師から説明を受けました。それでもまだ、もうやめてくださいと言うことができませんでした。そのまま死んでもいいから全部管を外して家に戻してくださいとは言えませんでした。ここさえ良くなれば酸素と経腸栄養で自宅で看護できると言われると、止められませんでした。
iPADで父の表情を見て、十分治ると思って、それを信じてしまっていました。
しかし、後から思えば、父は、もういいよ、と言いたかったんじゃないかと思います。
週が明けて27日(月)の朝、病院から電話があって、すぐにきてくださいと、容態が悪化していますと言われました。驚きながらも半信半疑で家族みんなで病院に行くと、看護師さんがだいぶ容態が落ち着きましたと。ホッとして。
本来ならお見舞いはできないのですが、こういう状況なので、病室に入れていただき、父の意識があるうちに家族それぞれが励ましや感謝の言葉を伝えることができました。孫(私の子どもたちや妹の子どもたち)も病院に駆けつけて、家族みんなが話すことができました。
もう持ち直して大丈夫そうだから、また明日にでも、と一度、午後に帰宅した途端、また病院から電話があり、ああ、おじいちゃんが帰るなって言ってる、と思いながらみんなが慌てて病院に戻ったところ、下がった血圧も心拍もなかなか上がってこず、最期は家族みんなに囲まれて、静かに息を引き取りました。
ああ、今日はおじいちゃんがみんなを呼んで、お別れの日にしたかったんだなと。9月27日(月)午後4時46分でした。
こんなに急に、と驚くばかりの、あっという間のひと月でした。
父の遺品から「イエニカエル」とふるえる文字で書かれた病室でのメモ書きが見つかりました。
なんとか入院をしないで自宅で看取ることができなかったのか、どんどん進む治療を止められなかったのか、家に、母のもとに病院から帰してあげることができなかったのか、今もずっと考えています。今さら考えても遅いけれど、考えてしまいます。
家にいたとしても呼吸を楽にしてあげることはできなかったし、痰を吸引したり、シモの世話も歯磨きも身体を拭くことも、全部病院のスタッフにしていただきました。これをもし家で母や私がすべてやるとすれば、それはもう大変なことです。母も入院する前の父との数週間の生活ですら相当に疲弊していました。
在宅看護に向けて病院の相談室のソーシャルワーカーの方も尽力してくれましたし、看護師さんの迅速な連絡で、最期は家族みんなを病室に入れていただき、母が父の手を取り看取ることもできました。そして、父の身体をきれいにして送り出してくれました。病院スタッフの方々がいてくれたからこそ父は苦しまず静かに最期を迎えられたのであり、最善の選択だったのだと、そう思い込もうとしながらも、やっぱり考えてしまいます。
父はコロナで亡くなったわけではありません。でも、この1年半、若い人たちが高齢者に会うことはよくないと言われ、近くにいるのにどうしても足が遠のいてしまい、大好きな孫たちの顔を見る機会が少なくなってしまったことは、父の生きる力を少しずつ奪っていったように思います。
コロナ禍にもかかわらずすぐに入院治療できたことも幸運だったと思います。ただ、入院中も感染予防対策でお見舞いに行くことができず、父ひとりで病気と闘わなければならならなかったことは辛い思いをさせてしまいました。
いつも言い合いばっかりしてるようで、ケンカのようにも漫才のようにも聞こえて、実はすごく仲の良かった父と母。母に文句ばかり言う割には、母がいないと寂しくて仕方がない父でした。ですから、母もこれから張り合いがなくて寂しいだろうと、仕方なく息子が時々甘えに行こうと思っています(笑)。
私の幼馴染、小学校時代の友人は、みんな父のことを覚えていて、かっこいいお父さんだったよね、といまだに思い出を語ってくれます。小さい子どもたちを集めて、よく遊んだり、餃子やかき氷を作って振る舞ったりと、子どもたちにもサービス精神旺盛な父でした。
本当に最近まで、外出もしないのに、いつもちゃんとおしゃれな洋服に着替えて家で過ごしていた人でした。最後までかっこいい父でいたくて、介護されるのなんてまっぴらだと思ったのかもしれません。
病院で亡くなった後、帰りたいと願っていた実家に父を戻して、一晩自分のベッドで寝てもらいました。冷たくなる前に、もう少し早く家に帰してあげたかったけれど、愚息の力不足でごめんなさい。どうぞ安らかに眠ってください。寝るのはほんとうに大好きな人でした。
延命か治療になるのかまた一本 父の望まぬ管が増えゆく
病室に震える文字で父のメモ「イエニカエル」をかなえられざり
微笑んだ遺影が家族の悲しみを楽しき思い出に置き換えてゆく
病床の父を励ますグータッチいまは遺影にタッチする母
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現代の第一歌集ー時代の群像
http://yhosdiary.exblog.jp/30675634/
2021-09-11T12:37:00+09:00
2021-09-11T12:37:47+09:00
2021-09-11T12:37:47+09:00
noririn_papa
言の葉
最近、通い始めた短歌教室でお借りした本。
実は一度読んでみたいと思っていた林あまりさんの歌集がなかなか見つからず、アンソロジーの一つとして入っているこの本をお借りしたのでした。
1986年から1991年まで、ちょうど昭和から平成に変わる頃に刊行された戦後生まれの歌人75名の第一歌集を集めたアンソロジーです。
河野裕子さんはその前、東直子さんはその後で、本書の中で圧倒的に輝いているのは、奔放さの林あまりさんと青春讃歌の俵万智さんでした。やはり、この時代の短歌を大きく動かした二人のように思います。
短歌初心者の私には、いろいろな歌人を知るよき入門書となりました。
個人的ベスト10は、林さん、俵さんの他、上妻朱美、浜名理香、小島ゆかり、加藤治郎、荻原裕幸、干場しおり、武田ますみ、大田美和。あ、ホムホムが外れてしまいました(笑)。
備忘録として、面白いと思った歌をいくつか。(*は私の独り言)
上妻朱美「起重機と蝶」
フランスの悲恋映画を見ておりぬ足に馴染まぬ黒靴履きて
《ベイビー!逃げるんだ、げるんだ》逃げたって何も変わらぬような気がする
黄葉せし公孫樹並木の下をゆく親の疎める聖書を抱えて
*《ベイビー!逃げるんだ、げるんだ》は、RCサクセションの歌からですね。
林あまり「MARS☆ANGEL」
きょう会ったばかりでキスは早くない?
ヤヨイ・トーキョー春花咲きて
くっついて歩く男も梅雨空も
叩きのめしてすやすや眠る
朝日撮りに出かけていったの、兄
そういえばあなたも立ちあがる気配
*奔放さ、過激さの中にも爽快感。2行の形にこだわるあたりも好きです。
浜名理香「銀のノブ」
仏具屋の軒の下にて観音が頭に値段貼られて立てり
九回の表に至り父親の攻撃は語尾命令形となる
*うんうん、あるある
小島ゆかり「水陽炎」
陽の中の麦藁帽子ーー愛などとは思はず人に愛されし日よ
杳(とほ)い杳いかのゆふぐれのにほひしてもう似合はない菫色のスカーフ
俵万智「サラダ記念日」
今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいというような海
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら
もうそこにサヨナラという語があって一問一答式の夕暮れ
*あえてサラダ記念日、缶チューハイ以外のものを。やっぱりわかりやすいということは共感を得やすいですね。
加藤治郎「サニー・サイド・アップ」
バスルームのあかりは夕陽のようだから肩にのっけている君の足
ブリティッシュ・ブレッド・アンド・ベジタブル あなたにちょっとてつだってもらって
*私自身が「ほうれん草とベーコンのサンドイッチ」という言葉で歌を作ろうとして長すぎると思ったことがあるのですが、なるほど、こういう形か、と。
荻原裕幸「青年霊歌」
恋人と言はば言ふべき学友のしはぶきさへもフランス語なり
みづいろの楽譜に音符記されずただみづいろのまま五月過ぐ
*この人の最新歌集「リリカル・アンドロイド」が好きです。
干場しおり「そんな感じ」
ストローでスライスレモンを沈ませて切なくもある待つということ
サンダルはぜったいに白 君のあと追いつつ夏の光になれり
*青春の相聞歌は他愛なくも美しい。
喜多昭夫「青夕焼」
目つむりてきみの水脈さぐるとき短篇小説のごとくさまよふ
みつめあへば抱きしめたいと思ふだらう季節はづれの海に来てゐる
吉田京子「しあわせの木」
サンダルにはだしの指をつっこんで春の光をふんづけてゆく
もう一度逢えるのならば雑踏の中を二人で歩いてみたい
浅井和代「春の隣」
動物の中で笑いを知っている人間が哀しい顔ばかりする
さよならに続きがあると思っている人の大好きな阪神タイガース
*確かに動物の中で笑うことができるのは人間だけで、他の動物が笑っているように見えるのは、実は怒ってたりするらしいです。
穂村弘「シンジケート」
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
こわくなることもあるよと背を向けたまま鳥かごの窓を鳴らして
*ホムホムは一つを選ぼうとすると難しくて、全部でホムホムの世界のような気がします。
武田ますみ「そしてさよなら」
すれ違う一瞬の風あなたではないと知りつつ振り向いている
いいわけを飲み込んだまま会うまいと誓った人にまた会いにゆく
大田美和「きらい」
めぐりあうまでの月日が降りそそぐ五月雨の中を君に逢いにゆく
本当に愛していたら歌なんて作れないよという説もある
*歌人で今は英文学教授だそうです。あえて優しい歌を選びました(笑)
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ポかリン記憶舎 朗読劇『戀文 koibumi』~明恵と鷹島の石~
http://yhosdiary.exblog.jp/30675581/
2021-09-10T20:02:00+09:00
2021-09-11T12:06:56+09:00
2021-09-11T12:06:56+09:00
noririn_papa
映画・演劇
大阪の友人と聴きに行った及川浩平さんのソロライブ。
そこにゲストで来ていて、及川浩平さんと短い朗読劇を披露してくれたのでした。
小さなライブハウス、というよりほとんど普通のお店だったので、明神さんとも少しお話しさせていただき、東京に戻ったあと、明神さんの主宰する劇団「ポかリン記憶舎」のお芝居を観に行きました。
何とも言えない浮遊感に惑わされ、それ以来、新作が出るたびによく観に行っていました。
最近は劇団としての活動がなく、明神さん単独の活動で、音楽演奏と朗読という二人出演の朗読劇が主になっているようで、私もなかなか観に行く機会がありませんでした。
その明神さんが学生時代から恋焦がれ(笑)、近年は京都に移住してまで練り上げた作品が、今回の明恵上人の一生を描いた朗読劇「戀文」です。
京都には行けなかったので、オンラインで拝見しました。
朗読劇『戀文 koibumi』~明恵と鷹島の石~
作・演出:明神 慈
朗読:安部聡子
音楽:トシバウロン
京都の両足院の一室で、開け放たれた襖の奥の庭園を背景にして、女優の安部聡子さんが巻紙に書かれた台本を朗々と読み上げます。合間に時空の扉を開け、幕間をつなぐような鐘の音や三味の音を奏でる演奏。
とはいえ、夜の庭はほとんど見えず、しかも当日は大雨だったようで、雨音がすごいのです。
おそらくその場で聴いている人には、雨音も効果音の一つとして、安部さんの肉声をきちんと耳で聴き分けることはたやすかったのだと思います。人間の耳はとてもよくできていますから。
でも、デジタル化されてスピーカーから出てくる雨音は、雑音となって、人の声の響きを邪魔してしまうのです。慣れるまでに時間がかかってしまいました。
やがて、時間を追うごとに、雨音は静かになり、そして明恵の魅力に取り憑かれていきました。
日本史にも仏教にも疎い私にとって、ほとんど初めて知る明恵上人の波乱万丈の人生、悟り、かなわぬ恋、釈迦への思い、などなど。
ほとんど反則技でしょうが、ここがアーカイブならではできることで、途中で映像を止めて、かたっぱしからググってしまいました。
明恵、高山寺、鷹島の石、蘇婆の石、糸野御前、義湘と善妙、などなど。
実に面白い(ガリレオ風 笑)。
そして、音で聴くと本来は難しい仏教用語も、阿部さんの美しい発音と、明神さんの何となく理解できるような上手な脚本で、すっと入ってきます。
おそらくこういう歴史もの、かなり史実に沿ったものは、オリジナル中心の明神さんの作品では初めてではないでしょうか。いつもの明神さんなら、夢うつつの夢のほうに偏りそうでありながら、うつつのほうの魅力をしっかり描いています。
もっとも、いつもそばにいて、そして今もひっそりと高山寺の箱の中にいる鷹島の石が明恵への思いを切々と語る「恋文」という形は、さすがの脚本、明神さんのオリジナルです。
まさに物語が終わろうとしているその時、庭の向こうから無粋な救急車のサイレンが・・・意外に長く・・・ま、石は今も現代にいるのですから、それもありでしょうか。
<戀文サイト>
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還暦
http://yhosdiary.exblog.jp/30664020/
2021-09-03T20:40:00+09:00
2021-09-05T11:47:33+09:00
2021-09-05T11:47:33+09:00
noririn_papa
家族の話
正やんこと伊勢正三さんが10年前、還暦記念ライブの時に作られた赤いバンダナをギターに巻いてみました。
恒例の娘の手作りケーキは桃たっぷりショートケーキ。
還暦同窓会を盛大に、なんて高校の同級生と話していた数年前。
こんな時代になるなんてびっくりです。
とはいえ、私たちは今まで十分に馬鹿なことをしでかしながら、たくさんの友人たちと長い時を過ごしてきたので、SNSなどでほんの少しつぶやくだけで、ずっと友人として深く心でつながっていることができます(もちろん会えないのはさみしいけれど)。
今の若い人たち、自分の子どもたちも含め、今このとき、一番なんでもできる時、たくさんの友だちと出会える時にこんなに行動が制限されるのは、本当にかわいそうで、もちろん、大人が思う以上に、子どもたちはネットの知識を工夫して、いろいろやっていますが、やっぱりアナログの、生の楽しさを早く取り戻せる時代になってほしいと思います。
そして、マスクをした大人に囲まれた幼な子たち、前を向いておしゃべりもせず給食を食べる子どもたち、どうかそんな中でも愛や友情をうまく育んでほしいと思います。
私たちが一番尽力しなければいけないのはそこかもしれません。
そんな中、この社会をギリギリで支えてくださっている医療従事者の方々には感謝しかありません。
といいますか、こうなる前からギリギリだったのに、こうなってもなお踏ん張ってくれていることに、感謝を通り越して逆に心配になってしまうほどです。
先日、父が体調を崩して入院したのですが(コロナではありません)、こんな状況なので病院のスタッフも超忙しいのに、いつも笑顔で接していただき、そして感染拡大防止のためお見舞いに行けない代わりに、お電話で報告をくださったり、メッセージを届けていただいたり、すごいなあと思ってしまいました。どうぞご自身の時間や生活も大切になさってください。
さて、私自身の近況報告ですが、家でじっとしてます(笑)。
もともとアウトドア派ではないので、出掛けられないこと自体、さほど苦痛ではありません。
在宅ワークや時差出勤が増えて、なんだか業務時間というものがなくなっているようにも思いますが、もう満員電車には乗れません(ちなみに60歳定年ですが、嘱託の形になるのは来年4月以降になります)。
自宅で自炊するうちに、すっかり自分の味に慣れてしまい、歳のせいもあって外食の味が濃すぎると感じるようになり、仕事に行く時も自作の拙いお弁当持参で、ほとんど外食もしなくなりました(もちろん本当に美味しいところ、素敵なお店には早く行きたいと思うのですが)。
暇な時は、本を読んだり、ギターを爪弾いたり。
月に1回、短歌教室に通い始めました。
昨年、富士山大賞なるもの(富士山をテーマにした短歌募集)に応募してみたら入選したことで、ついその気になってしまい、老後の趣味の一つにでも加えてみようかと思ったわけです(笑)。
とはいえ、もともと弾き語り用に作った作詞の一部を抜き出したようなものだったり、短歌というより散文だったりと、とても現代の在原業平にはなれませんが(笑)、自分ではいい歌を作ったつもりが他人から見れば独りよがりだったり、言葉足らずだったりと勉強になります。
春の朝きみはふんわり微笑んで「らずべりぃのパンが焼けたよ」
くちづけで氷のかけら移すひと今も心に溶けないでいる
正やんの歌をこよなく愛してた男が逝ってしまった五月
夕暮れに浴衣姿で誰を待つ勝気な瞳まつ毛に隠して
百日紅の街路樹に日傘のひと まるで印象派の絵のように
木洩れ陽に小川の水を手ですくい光こぼれてあなたが笑う
ほぼラブソング、もとい短歌の世界では相聞歌というらしいです(笑)。
そうそう、この夏、一番よく耳にした短歌(和歌)はなんだか知っていますか?
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(古今和歌集)
国歌として歌うとなんだかですが、和歌として読むと永遠の愛と歴史を感じます。
話が目一杯逸れましたが
どうぞこれからもよろしくお願い申しあげます。
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