カテゴリ
リンク
読書メーター
読んだ本の感想は主にこちらに掲載することにしました。 以前の記事
最新のコメント
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 09月 28日
書店で以前、確かに見かけた記憶があるのですが、これまで手に取って読んでみなかったのは、ライトノベルのような漫画チックな表紙に若い人向きの軽い小説という先入観を抱いてしまったからでしょう。 なんてもったいないことをしていたのでしょう。 でも、今気づいたからこそ、第1巻から最近出た第4巻の最終巻まで一気読みできるという至福を与えられたのかもしれません。 最近、訪れる機会も多い川越の街と、懐かしい活版印刷を通した本作りへの愛が満ち溢れている、まさに私の心の奥のツボを刺激しまくられる本でした。 そしてそこで残そうとする小説や短歌などの言の葉が、またまさに自分の感性と合っていて、久しぶりにはまってしまった本でした。 この本が活版で刷られていたら、どんなに素敵だったでしょう。それはなかなか無理な注文だとしても、せめて活版で印字された栞を付けたら、どれほど素敵だったでしょう。 たとえば私が編集者なら、第1巻のカバーは上質紙に高浜虚子の句の書かれたコースターをデザインして、裏表紙の隅には三日月堂のマーク。 そして栞に刷られた活字は「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」。 モノクロの活版印刷の機械などを写した中扉はこのままで。 付録には飾り罫で囲まれた川越の街の絵地図を綴じ込んで。 思えば自分が編集の世界に入った頃は、すでに活版から写植へと時代が大きく変化していました。ですから当時出張校正などで行った印刷所も写植機がずらっと並んだオフセット印刷で、活字の印刷屋さんのイメージといえば、初期の寅さんのタコ社長の工場でした。 そういえば子どもの頃、印刷所でパートをしていた母親が持ち帰ってきてくれた自分の名前の活字をハンコにして遊んでいたこともありましたっけ。 遠い遠い昭和の日の、そんな小さな文字の重さまで思い出してしまいます。 古き建物の並ぶ川越の街の小さな活版印刷屋さんのささやかな印刷物が、いろいろな人の心に灯をともすお話。 第1巻。最初の物語が息子の巣立ちのお話だったのも、引き込まれる要素の一つだったかもしれません(笑)。思わず涙ぐんでしまいました。 そして第2巻へと、一つひとつの短編が独立していながらも、できあがった印刷物が人と人とを結びながら次の話につながっていき、印刷物もステップアップしていきます。名刺の文字印刷から版画の凹版印刷、豆本製本、校正機によるページものと、少しずつ本に近づいていき、デザイナー、編集、校閲、技術者と出てきて、組版、色刷り、面付けと、どんどん本に近づいていきます。勝手知ったる編集・出版の世界、本作りへのこだわりに、私もどんどん引きずり込まれていきます。 とどめを刺されるように、第3巻で母のギターと短歌の想い出話。頭の中でユーミンの「ひこうき雲」が流れ出し。 また、不覚にもまた涙ぐんでしまった表題作「庭のアルバム」は、万葉集で結ばれた祖父母の花の庭のお話でした。 最終巻は、ゆっくりじっくり読もうと思っていたのに、結局1日で読んでしまいました(笑)。 最後は母の歌集を作るのかと思っていましたが、また違う展開を持ってきました。 個人的には歌集が一番活版には合うような気がします。歌人が鋭い感性で選び抜いた三十一文字を、職人が一つひとつ文選し植字し組み付けて紙を選び印刷することに大きなロマンを感じてしまうのです。 ただ、そこそこのページ物の本を印刷することが目標でもあるので、そこはエッセイ集がふさわしいのかもしれません。 ひとまず物語は完結してしまいましたが、三日月堂はまだまだ発展途上ですし、父母のエピソードもまだ少ないし、川越の街もまだまだ紹介すべきところもあるので、きっといつかどこかでまた会えるでしょう。 感動とか興奮とかとはまた違う、久しぶりに心の奥のツボを刺激される本に出会えたことに感謝したいと思います。 さて、読み終えてふと考えました。 この時代に活版印刷が本当に望まれるのでしょうか。 文字のレトロ感だけなら、おそらくDTPでも再現できます。そういう文字を作ればよいのです。印圧やかすれは活版でも避けるべき要素ですし。 そして、膨大な活字の在庫スペース、鉛害、専門職人の養成など解決すべき問題は数多くあります。 それなのになぜ活版に惹かれるのでしょうか。 それは残したいと思う言の葉を伝えるために、最高の印刷物を作りたいというこだわり。 作家が紡いだ言葉を職人さんが一文字一文字拾い組上げて作る。そこに関わる人たちの、ものづくりへのこだわり。人の手があり、活字の重さがあり、インキの匂い。 そうした本作りに関わる人々の心の繋がりがその活字に込められているからではないでしょうか。 キーボードを叩いて安直に言葉を作り、器械的に文字をレイアウト枠に流し込む、いやそもそも言葉をそのままネット配信できる時代に、言葉の持つ大切さ、伝えたいものの大きさ、その言葉がどこかで誰かを傷つける可能性、そういうものをいつしか忘れて、安直な言葉を大量に発信する時代に、一文字一文字の持つ言葉の重さを活字に関わりこだわる人々の思いを描くことで教えてくれたように思います。 ところで、そもそも活字は美しいのでしょうか。 縦にも横にも並べられる正方形に納められた文字。 しかし、書の流れるような文字を見ると、そもそも日本語というのは縦に並べて美しいものなのではないかと思うのです。 もし活字を作る職人が縦書きを意識していて、現代のDTPがパソコンの横書きを意識したものであるなら、活字に惹かれるのもわかるような気がするのですが。 写真は、この本とコラボ展示している印刷博物館の、再現されたコースターと、ずらりと並んだ活字棚。
by noririn_papa
| 2018-09-28 23:37
| 小説・本
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||