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2016年 08月 16日
カトリック調布教会に森一弘司教が講演に来るというので、聴きに行きました。
森司教は、その昔、遠藤周作氏と公開問答をしたり、近年では「神の発見」という本で、五木寛之氏と、「浄土真宗 vs キリスト教」をテーマに対談されるなど、カトリックの領域を超えて活躍されている神父様です。 実は私は、森司教に2011年に洗礼を受けているのです。 ですから、ご無沙汰のご挨拶も兼ねて、お伺いしたのでした。 調布教会は、近年建て直されたようで、とてもモダンな建物でした。特にお御堂は、白い壁を基調にシンプルで清楚な雰囲気があり、また正面の十字のステンドグラスとその上の天窓から見える緑の木々は、どこか草原の境界を思わせるようで素敵な教会でした。 森司教の講演は、8月6日から15日までの平和旬間の一つとして行われたものですが、やはりというか、期待以上というか、キリスト教的立場でありながら、キリスト教を超えて、現実の歴史と現代の安全保障に深く足を踏み入れた内容で、とてもわかりやすく、またこれからの日本を私たちが考えていくには十分な内容でした。 森司教は、「今『くにの安全保障』とは〜キリスト者の責任と覚悟を考える」と題し、キリストの生き方と価値観について、それから人間が歴史の中で作り上げた近代国家の論理について、そして日本の憲法と安全保障について、幅広く、豊富な知識をベースにお話しいただきました。 特に、キリストがあの時代に、国の繁栄より、社会秩序や伝統より、宗教的定めより、民族や家系よりも、人一人ひとりがかけがえのない存在であるとした価値観、権力者からも民衆からも弟子からも見放されて、なおかつ相手の幸せを祈り、神の力でなく愛を論理を貫いたことこそが、キリスト教の原点であり、だからこそ、長い歴史の中で様々な問題を超えながら、今も人の心に残っているというお話は、日本人として、カトリックでありながら、どこかキリスト教に違和感を持っている私の心にストンとくるものがありました。 また、そうした人間個人の価値、自由であり平等であるという価値観は、キリストの時代から170年を超えたフランス革命後に、ようやく私たちの中に生まれた価値観であり、それでも国や民族まで超えられず、何度も戦争を経験し、多くの命、最も大切である人一人ひとりの命を犠牲にしてきたというお話。 そして現在、またキナ臭い影がちらついています。それでは、キリストのように命を投げ出して、武器ではなく愛に生き、相手の幸せを願うことで、国家間の紛争が解決するのか。たとえ個人ではできても家族や友人まで運命をともにすることができるのか、という問いかけ。 戦争を放棄した日本が、「自由と平等」というアイデンティティが脅かされていると信じたら、たとえ国外でも軍隊を派遣するのが善とするアメリカと、集団的安全保障を結ぶことの危険性。 では、私たちは日本人として、キリスト者として、どのような道を選ぶべきなのか。 そんなお話でした。 森司教様は、もう80歳近い年齢というのに、勉強家で話し上手で、そしてお元気で安心しました。 かつては井上洋治神父、そして今の森司教と、日本人としてキリスト教を考え、自分の言葉でお話をされるような神父様は、今後、出てくるのでしょうか。
by noririn_papa
| 2016-08-16 18:40
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