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2012年 01月 26日
てらいもなく、さわやかな青春小説といえるような
「くちびるに歌を」(中田永一、小学館)。 中学生の合唱部の話というと一年ほど前の 佐藤多佳子さんの「第二音楽室」を思い出しますが こちらのほうが明るくストレートです。 それは、長崎の五島列島という海に囲まれた島の中学の よくいえば素直、悪くいえばあか抜けない そんな子どもたちが主役だからかもしれません。 父親が浮気して家出したことで男嫌いの少女と 自閉症の兄を持ち、自分もひとりぼっちが好きな少年。 この二人の語り部は、少々暗い環境を持ちながらも 妙に明るく楽しんで学校生活を楽しんでいます。 その二人を囲むのが、若くて美人の音楽教師、 わんぱくだけど正義感の強い少年、 気のいい力持ちの少年、真面目なメガネ少女、 謎めいた美人クラスメート、おしゃべりな後輩と 典型的な青春ドラマの登場人物たちが NHK全国学校音楽コンクールを目指して奮闘します。 ところどころに登場人物の手紙をはさみ 王道のストーリーだけれども意外性も持ちながら 最後のコンクールの後の情景は感動的でした。 欲を言えば、主役の二人が最後まで あまり交わらなかったのが物足りなかった気がします。 もっと言えば、もう一人、語り部を登場させて 最後は合唱に合わせて三人の話が混声合唱のごとく ひとつになっていったら最高なのにと よけいなお世話に思いを馳せてしまいました。 やっぱり子どもたちの歌声、合唱っていいですね。 私の子どもたちも小学校の合唱団に所属していましたが 発表会では体育館に響く歌声に 不思議と涙ぐんでしまっていたりします。 そんなことも思い出しました。 夏休みの課題図書になるのか、NHKがドラマ化するか そういう正統派の部類のお話ですが 素直に面白かったと言える小説でした。 2012年 01月 22日
渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている
「フェルメールからのラブレター展」を観てきました。 雨模様で寒い日曜日、朝一番なら結構すいてるかと思いきや 時間前から列ができていました。 混んでいるというほどではありませんが 会場自体も狭く、今回は小さい絵が多かったので 近くに寄って観たり、離れて観たりするには やはり人が多いという印象です。 フェルメールの絵は、目玉の3点だけで あとは同時代の画家による、家庭内の人々を描いた風俗画が 展示されていました。 どれも、レンブラントに始まる 当時のオランダ絵画の特色である光を意識した作品です。 薄暗い室内の中に、窓からやさしく入りこむ光が まるで舞台のスポットライトのように 中心人物の姿を浮かび上がらせていました。 今回、大修復をしたという「手紙を読む青衣の女」は 修復しきれなかったのか、そういうタッチなのか よくわからないのですが、他の絵に比べると 少しぼけているような感じがしました。 世界地図を背景に、ふくよかな女性が手紙を読んでいる絵は お腹に子を宿した妻が、遠く戦地に出かけた夫からの手紙を 読んでいるという物語を想像させましたが 解説によれば、当時の流行がマタニティ・ドレスのような服で 妊婦ではないらしいとのこと。 (ゴッホはこの絵を観て妊婦と言ったらしいですが) まあ、もし妊婦でないとすれば、せっかくモデルになった女性が 何世紀も後に妊婦だと思われてしまうのは少々気の毒であり それ以上は申しますまい。 もう二つの絵は、物語はまったく別のものですが どちらも背景に絵画が飾られていて 絵画を絵画が描くという二重構造が面白く また、手紙という文字のコミュニケーションが持つ魅力を 絵画という美術の世界で表現しているのもまた面白く思いました。 展覧会のタイトルにフェルメールと大きく出ていたので もっとたくさんフェルメールの作品があるのかと思っていましたが 3点のみ。 そういえば、昨年も同じBukamuraでフェルメールの名がついた 展覧会がありましたが、あのときも1点きりだったとか。 有名な画家ですが、もともと作品数は少ないようですね。 でも、フェルメールを客寄せに強調し過ぎです。 2012年 01月 21日
昨夜のテレビで放送された「続・三丁目の夕日」にのせられて
初日に観に行ってしまいました。 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」 ついに自分が生まれている時代に突入しました。 といっても、まだ3歳でしたから、記憶は定かではありませんが。 東京オリンピック。 新聞紙を丸めて聖火ランナーをまねしていたとか。 とにかく、あの東京の空の下に住んでいたわけです。 3Dは目が疲れそうなので、ふつうのほうにしました。 値段も安いですし。 おまけに夫婦50割引で、二人で2000円です。 50歳になってよかったと思う、ささやかな幸せ。 オープニングで街を俯瞰する最初のカメラワークには 眼が回りそうで、3Dならきっと気分が悪くなっていたでしょう。 でも、ドラマが始まれば、安定した画面になり 笑いあり、涙ありの日本喜劇の定番です。 いろいろな話がテンポよく進み 今を知ってるから笑えるような当時の思い込みに笑い 気持ちよく涙も流して、すっきりしました。 いつのまにか、父親の目でホームドラマを観ています。 そして、あの時代の自分の親の姿を思い浮かべています。 そういえば、みんな貧乏で元気な時代でした。 最後のバンプの歌はいまひとつのように思えましたが。 前作の「花の名」のほうがノスタルジックな雰囲気で 個人的には好きです。 2012年 01月 08日
「地雷ではなく花をください」がキャッチコピーの
谷川真理ハーフマラソン。 参加費の一部が地雷廃絶運動にチャリティされます。 毎年、1月第2週の日曜日に、北区の荒川土手で 開催されているこの大会に、3年ぶりに参加しました。 5年前、初めてこの大会に参加した時は私一人。 5キロの部でした。 翌年は陸上部だった長男と参加。 5キロを走りました。 5キロのコースがなくなったここ2年は 参加しなくなっていましたが 今年は3キロのコースに小5の娘と参加しました。 荒川土手はいつもこの時期、凍えるほどの寒風が吹くのですが 今日は陽射しも柔らかく、穏やかな天候でした。 もちろん、土手には 冷たい風が吹いているのですが 予想ほどではありませんでした。 また娘には完敗しましたが、 とりあえず足も痛くならず完走しました。 速報記録で、娘が15分55秒、私が16分25秒。 運動不足のオジさんには上出来です。 今年もマイペースでのんびり行きます。 参加賞にTシャツをもらいました。 娘とお揃いなのが、ちょっと嬉しい。 2011年 12月 30日
12月26日、妻の母が天国に旅立ちました。
優しきクリスチャンらしく クリスマスの祝いが終わるのを待って 静かに息を引き取りました。 妻の話によれば、彼女が洗礼を受けたのは 20歳頃、東京に働きに出て来た頃だといいます。 職場の隣りにカトリック教会があり 毎朝、祈りを捧げていたそうです。 それから義父と知り合い、結婚し 兄と弟、そして3番目に生まれた娘が私の妻です。 義父母は小さなサンドイッチ屋さんを経営していました。 義父母の作るサンドイッチは 溢れるほどの具材がパンの端まで詰まった 手作りの美味しいサンドイッチで どこに持って行っても喜ばれました。 そうして朝から晩まで働いて 3人の子どもを育てあげました。 同じように3人の子どもを育てている今 その大変さを身にしみて感じています。 どんな時でも笑顔で、子どもたちを信じていく 心の大きさは、今でも見習わなければと思います。 義父が13年前に肺がんで亡くなり 義母がひとりで切り盛りしていたお店も 義父の死後10年を区切りに、3年前に閉じました。 今もサンドイッチの味を懐かしむ声を聞くことがあり それは誠実に続けていた義父母への 何よりの勲章だと思います。 その後は、趣味のダンスや旅行に 本当に元気に飛び回っていた義母でしたが この11月、疲れと食欲不振を訴え 妻も心配して頻繁に顔を出していた矢先でした。 急激に体調が悪化し、検査の結果、 進行がんで末期であることがわかりました。 入院して1か月、亡くなるまで本当にあっという間でしたが 妻とその兄二人の子どもたちがずっと付き添い 最期の時を家族で過ごすことができました。 25日のクリスマスに、私も洗礼を受けました。 洗礼のミサでは、偶然にも義母の大好きな聖歌 「あめのきさき」が選ばれ、家族で歌いました。 そして、わが家は全員クリスチャンになりました。 そしてそれを見届けるかのように 義母は翌日、神のもとに召されました。 葬儀はカトリック教会で行われました。 教会に不慣れな弔問の方々には戸惑われたかと思います。 しかし、亡き義母の思いと、娘である妻の思いが ひとつになった葬儀でした。 通夜では孫に当たる私たちの子どもたちが聖書を朗読し 葬儀では神父様の手伝いをする侍者を務めました。 ミサの終わりには「あめのきさき」が流れました。 「あめのきさき」は義母の洗礼名であるべルナデッタにちなんだ ルルドの聖母を歌った聖歌です。 今頃、空の上で、義父と再会して話がはずんでいるでしょうか。 茨木のりこさんの「泉」という詩があります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 泉 茨木のりこ わたしのなかで 咲いていた ラベンダーのようなものは みんなあなたにさしあげました だからもう薫るものはなにひとつない わたしのなかで 溢れていた 泉のようなものは あなたが息絶えたとき いっぺんに噴きあげて 今はもう枯れ枯れ だからもう 涙一滴こぼれない ふたたびお逢いできたとき また薫るのでしょうか 五月の野のように また溢れるのでしょうか ルルドの泉のように ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 義母は百合の花が好きだったので 百合の花を差しあげましょうか。 2011年 12月 11日
少し前、綿矢りささんの「かわいそうだね?」を読んで
若い女性作家の「毒」を心地よく読ませていただきました。 彼と元カノの同棲という端から見れば とても信じられないような展開を なんとか信じようとするけなげというか愚かというか 可笑しくて哀しい恋の顛末。 最後は痛快なのか、自爆なのでしょうか。 綿矢さんの小さな「毒」が次に手にしたこの本の前兆だったのか まさに「猛毒」を読んでしまいました 山田詠美さんの「ジェントルマン」。 世の中の常識の裏にある無法地帯に、鮮烈な愛と罪が存在し 欲望と悲哀が疾走してゆく展開。 両性具有の天使が悪魔に恋をしてしまったら 神はどんな結末を用意するのでしょうか。 クリスマスの教会で、聖書の下にそっとこの本を置いて 祈ってみたい衝動に駆られるようです。 「毒」といえば、テレビドラマに反社会的な毒を入れながら 人間の面白さを描いた脚本作家、市川森一さんが逝去されました。 市川さんの脚本で印象に残っているのは 「傷だらけの天使」(1974年)。 まだ中学1年生だった私は眠い眼をこすりながら 親に懇願して土曜の深夜(といっても午後10時でしたが) ドキドキしながら見ていたような記憶があります。 自分が親だったら、子どもには見せないドラマだったと 今ではそう思いつつ、でもそれで悪影響を受けた記憶もないので 毒は毒でも、子どもなりに絵空事として消化するのでしょう。 当時のドラマは脚本家が分業する形で 複数の脚本家が交代でドラマを書いているのですが 「傷だらけの天使」はショーケンと市川森一さんが お互いのアイディアを出し合う中から生まれたドラマで (by 「ショーケン」萩原健一) ショーケンの個性が持つ毒と市川さんのペンが持つ毒が あの「オサム」と「アキラ」を生み出したように思います。 こうした「毒」には心をしびれさせる作用と ひとを優しくする副作用があるようです。 2011年 11月 05日
「サウンド・オブ・サイレンス」といえば
映画「卒業」で流れたサイモン&ガーファンクルの名曲です。 そのタイトルを借りたこの本 「サウンド・オブ・サイレンス」五十嵐貴久(文藝春秋)は 象徴的な意味の沈黙ではなく 耳の聴こえない若い女の子たちが 音楽に合わせてヒップポップダンスを踊るという まさにタイトルの示す言葉通りの物語です。 音が聞こえなくても音楽を楽しむことができるということは 私の母が関わっている手話ダンスという 耳の聴こえる人も聴こえない人も一緒になって 手話で歌詞を伝えながらリズムに合わせて踊る姿を見て なんとなくわかっていました。 音が聞こえなくても音楽を楽しむことができる、 リズムを感じることができる、歌を伝えることができる、 心を通い合わせることができるのです。 これが音楽の持つ奥の深さでしょう。 いじめに怯える普通の女子高生の話し言葉で始まるこの物語は 私のようなオジさんが読むのには少し抵抗があったのですが 考えてみれば著者も同い年じゃあありませんか。 そういうわけで読み進んで行くと、テンポの良さ、話の展開に 読むことを止められないほどでした。 耳の聴こえない女の子たちが主人公とはいえ ダンス・コンテストを目指す青春エンターテイメント。 多少のご都合主義、楽観主義には眼をつむって はじけるヒップポップを楽しもうではありませんか。 彼女たちのハンデに対する現実的な背景は あとで私たちが社会の中でじっくり考えればよいのです。 それにしても、美紗という女の子のキャラ。 耳は聴こえないけれど明るくて元気で おしゃべりで(もっぱら手話と携帯メールによりますが) ちょっと幼くて少し強引なところもあって 本当にどこかにいそうな気がします。 2011年 11月 05日
毎年、娘の誕生日に父娘で
「としまえん」遊園地に遊びに行くのが ここ数年の恒例行事だったのですが ゴーカートに乗りたいという娘の要望に応え あれこれ検索した結果、よみうりランドまで 遊びに行ってきました。 昔は(私が小さい頃のお話ですが) 住んでいるところから割と近くに 朝霞テックというホンダの経営する遊園地があって よくゴーカートを乗りに行ったものでした。 同じ系列で、遠くではあるものの 多摩テックというのが最近まであったのですが それもなくなってしまい 案外、ゴーカートのある遊園地が近郊にないのです。 よみうりランドも数十年ぶりで たしか昔は動く歩道があったはずですが それもゴンドラに変わってしまっていました。 今回は遠出で、久しぶりの行楽日和に 妻も一緒に行くことになり、娘の笑顔も倍増と思いきや 父さん一人なら組しやすしで何でもOKのところ 手強い妻の出現にやや不満げな顔。 パパと二人のデートは邪魔しないわよという 妻のひと言に安心して笑顔になったのでした。 朝のすいているうちに思う存分ゴーカートに乗り あとは親子であっちこっち。 恐ろしく長い距離に感じた ジェットコースターや いきなり上に飛び上がった ヒューストンなど 絶叫系の乗り物も満喫。 まだ年齢の足りない娘に変わって 私はバンジージャンプも飛んできました。 (飛び出す瞬間はやっぱり怖かったぁ) それにしても、年齢とともに衰えるような私の三半規管。 乗り物ひとつ乗るごとに少しずつふらふらしてきて 来年はいくつ付き合えるのでしょうか。 2011年 11月 02日
ひょんなことから、高校の同級生たちと盛り上がり
先週末、フォーク酒場「昭和」で唄ってきました。 その「ひょん」を説明すれば 50歳を迎える今年の夏、十数年ぶりに高校の同窓会が開かれ その後もネットでの交流に花を咲かせているうちに いつしかフォークソングの話題になって 「えっ、5年前、つま恋に行ってたの?」「俺も」 みたいな異常な盛り上がりから 今度、フォーク酒場で飲もうじゃないかとなって それが実現したわけです。 私は「昭和」常連のような顔をしつつも オフ会がらみで時々行っているだけで、ギターも初心者。 ギター部出身の友人は「昭和」は初めて。 言い出しっぺで「昭和」2度目の友人と こういう場所すら初めてという友人と男4人。 考えてみれば同窓会でもろくにしゃべっていなかったので 30年以上昔の友人との語らいは ほとんど、はじめましての世界だったのですが 「昭和」で次々と演奏される懐かしいフォークに いつしか旧知の友になっていったのでした。 4人で唄った歌はまず「眼をとじて」(かぐや姫)。 つま恋バージョンで盛上がります。 そして、やはり山田パンダさんの 「風の街」。 私たちの高校は外苑前にあり 歌詞に出てくる表参道、原宿は まさに懐かしすぎる街だったのでした。 2011年 10月 24日
雨もすっかり上がって暖かくなった10月23日(日)
今年もグリーンリボンランニングに娘と参加しました。 グリーンリボンというのは移植医療普及のシンボルマークで この大会は、移植者もドナーも一般の人も みんな一緒にランニングを楽しみましょうという大会です。 ですから、普通のマラソン大会に比べると どこかのどかな雰囲気があったのですが 最近は走る気満々のランナーも増えてきたようです。 大会の始めに、ドナーへの感謝、健康への祈りを込めて 参加者全員で国立競技場の空に 風船を飛ばします。 そして、私たち親子のエントリーした 1キロ親子ペアラン、スタート。 昨年は私もそれなりに毎日走ったりしていたのですが 今年はいろいろあってほとんど走っておらず 体力不足、準備不足は仕方のないところ。 とはいいつつ、なんとかなるだろうという甘い読みも。 昨年は5分56秒で2位に入賞したのですが今年は気合いの入った速そうな親子が たくさんいます。 昨年の私たち親子の入賞ニュースが 呼び水になったわけではないでしょうが スタート地点から、すごい闘争的な雰囲気です。 (ほら、小さい子もいるんだから・・・気をつけて!) レース結果は、予想通りというか、以下というか わが娘にかなりの差を付けられて ゴール前で娘が待っているという展開は 観客に、あの娘の親はどうしたんだろうと心配させ ようやく娘に追いついて手をつないでゴールしたときには 安堵の歓声と拍手が起きるふがいなさ。 1キロ、6分9秒。 それでも去年より13秒遅いだけなのですが 17位という順位でした。 「今度は私、ひとりで走りたいな」と娘のつぶやきが・・・
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